2005年 10月 16日
やるべきことは何だろうか |
OpenOffice.org 2.0の正式版リリース予定が延期された
既にFedora Core4では2.0ベータを使ってるけど、特に不具合は感じてないのでなんでかな?と思った
前向きなことらしいので悪いことだとは思わないけど
つまり多くの人に使いやすい、決してマニアックなソフトウエアでないことを目指している証拠なワケだよ
MS-Officeの販売価格を考えると、どうしても購入意欲は起こらない
おいらの場合いわゆるオフィスワークをしているわけではないので、ファイルを共同利用しなければならないこともなく、何がなんでもMSを使わなければいけない理由が無いっていうのが一つ
以前はハッキリ言ってコピーのMS-Officeを使っていたけれど、OpenOffice.orgの登場とMS-Office XPのユーザー認証で使う理由が無くなったし、著作権侵害もしなくて済むっていうのが精神衛生的にも大きい
大きなシェアを持つ商用ソフトウエアに対する著作権侵害は、一般的なユーザー間では当たり前のように行われているいるのは承知のことだよね
先々月だったかな?川崎駅地下街にあるDellの直販ショップを冷やかしてるときも、夫婦らしき中年カップルが新規購入相談をしていて、その時に男がしきりに言ってたことは「オフィスが動くんならなんでもいいんだよ。ソフトはコピー持ってるから要らないし」
こういう人たちがPC市場を支えてるのかと思うと悲しくなったけどね
それだったら会社や友人の使わなくなったPCを譲ってもらって、OpenOffice.orgを使えばいいのにって思うおいらがおかしいのか?
おかしいんだとしたら、MSに占拠されてる社会じゃないの?
もちろんそれにはある程度のPCスキルが必要なことはわかっているけどね
それにね、こういう人たちは、Windows95にMS-Office95だって充分仕事が出来るハズなんだ
PCリサイクル法のおかげで、中古PCには追い風が吹いてくると思ってたのになぁ
NECのPC98がイコールパソコンの時代は、まだMS-Officeが無かった、あるいは出始めだったこともあって各社の色々なワープロ/表計算/データーベースソフトが使われていた
確かにファイルの共同利用を考えると現在のMS独占状況は楽になったと言えるけど
おいらが8ビットのパソコンでベーシックをシコシコ打ち込んでいた頃は、各メーカー間はもちろん、同じメーカーでも新商品が出ると同じプログラムを利用することが出来ないのは当たり前だった
それがOSの利用で状況が変わり、更にはWindowsの登場でAT互換機ともファイルの共同利用が出来るようになった
それだけでも素晴らしいって感じられるおいらの感覚は、既に通用しないのかね?
確かにOSやフォントが違えばファイルを全く同じ表示で扱うことは出来ない
でも例えば、ウエブブラウザをIE以外のを使う場合に、確かに表示がちゃんとできないことはあるけど、それには替えられないメリットがあったりもするし
それよりも何よりも情報の持つ重要さってモノは、表示形態よりも文章内容、つまり人間で言えば“見た目より中身”だとおいらは思うんだけど
極端に言ってしまえば、ワープロで扱っているデータはプレーンテキストでいいし、Wordデータは、WindowsアクセサリのWordPadで表示できない装飾を必要と思うことは、少なくとも横書き文書では特別な場合を除いては感じない
表計算ソフトのデータも、新たな計算作業さえなければcsvファイル、つまりテキストだけで内容は把握できる
昨日受験してきたP検でのオフィス利用の出題なんか、全部ソフトウエア固有の機能に関するモノばかりでさ、こんな知識が本当に必要なの?
そんなこと勉強するくらいなら、もっと大事なことがあるだろ?と思うんだよ
その一つがオープンソースソフトウエアを利用することによるコスト削減、それに関連しての旧式になってしまったハードウエアの有効な再利用であり、OSやアーキテクチャの違いからくる情報の共同利用方法だったりだと思うワケ
今の日本は借金大国で、決して豊かな国ではないんだから
チャットをしてると、特に顔文字の利用でWindows固有の機種依存文字が、当たり前のように使われてるのを腹ただしく思ってるのはおいらだけなのかね?
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既にFedora Core4では2.0ベータを使ってるけど、特に不具合は感じてないのでなんでかな?と思った
前向きなことらしいので悪いことだとは思わないけど
つまり多くの人に使いやすい、決してマニアックなソフトウエアでないことを目指している証拠なワケだよ
MS-Officeの販売価格を考えると、どうしても購入意欲は起こらない
おいらの場合いわゆるオフィスワークをしているわけではないので、ファイルを共同利用しなければならないこともなく、何がなんでもMSを使わなければいけない理由が無いっていうのが一つ
以前はハッキリ言ってコピーのMS-Officeを使っていたけれど、OpenOffice.orgの登場とMS-Office XPのユーザー認証で使う理由が無くなったし、著作権侵害もしなくて済むっていうのが精神衛生的にも大きい
大きなシェアを持つ商用ソフトウエアに対する著作権侵害は、一般的なユーザー間では当たり前のように行われているいるのは承知のことだよね
先々月だったかな?川崎駅地下街にあるDellの直販ショップを冷やかしてるときも、夫婦らしき中年カップルが新規購入相談をしていて、その時に男がしきりに言ってたことは「オフィスが動くんならなんでもいいんだよ。ソフトはコピー持ってるから要らないし」
こういう人たちがPC市場を支えてるのかと思うと悲しくなったけどね
それだったら会社や友人の使わなくなったPCを譲ってもらって、OpenOffice.orgを使えばいいのにって思うおいらがおかしいのか?
おかしいんだとしたら、MSに占拠されてる社会じゃないの?
もちろんそれにはある程度のPCスキルが必要なことはわかっているけどね
それにね、こういう人たちは、Windows95にMS-Office95だって充分仕事が出来るハズなんだ
PCリサイクル法のおかげで、中古PCには追い風が吹いてくると思ってたのになぁ
NECのPC98がイコールパソコンの時代は、まだMS-Officeが無かった、あるいは出始めだったこともあって各社の色々なワープロ/表計算/データーベースソフトが使われていた
確かにファイルの共同利用を考えると現在のMS独占状況は楽になったと言えるけど
おいらが8ビットのパソコンでベーシックをシコシコ打ち込んでいた頃は、各メーカー間はもちろん、同じメーカーでも新商品が出ると同じプログラムを利用することが出来ないのは当たり前だった
それがOSの利用で状況が変わり、更にはWindowsの登場でAT互換機ともファイルの共同利用が出来るようになった
それだけでも素晴らしいって感じられるおいらの感覚は、既に通用しないのかね?
確かにOSやフォントが違えばファイルを全く同じ表示で扱うことは出来ない
でも例えば、ウエブブラウザをIE以外のを使う場合に、確かに表示がちゃんとできないことはあるけど、それには替えられないメリットがあったりもするし
それよりも何よりも情報の持つ重要さってモノは、表示形態よりも文章内容、つまり人間で言えば“見た目より中身”だとおいらは思うんだけど
極端に言ってしまえば、ワープロで扱っているデータはプレーンテキストでいいし、Wordデータは、WindowsアクセサリのWordPadで表示できない装飾を必要と思うことは、少なくとも横書き文書では特別な場合を除いては感じない
表計算ソフトのデータも、新たな計算作業さえなければcsvファイル、つまりテキストだけで内容は把握できる
昨日受験してきたP検でのオフィス利用の出題なんか、全部ソフトウエア固有の機能に関するモノばかりでさ、こんな知識が本当に必要なの?
そんなこと勉強するくらいなら、もっと大事なことがあるだろ?と思うんだよ
その一つがオープンソースソフトウエアを利用することによるコスト削減、それに関連しての旧式になってしまったハードウエアの有効な再利用であり、OSやアーキテクチャの違いからくる情報の共同利用方法だったりだと思うワケ
今の日本は借金大国で、決して豊かな国ではないんだから
チャットをしてると、特に顔文字の利用でWindows固有の機種依存文字が、当たり前のように使われてるのを腹ただしく思ってるのはおいらだけなのかね?
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by mami-hide
| 2005-10-16 01:46
| PC